昭和の運動会とは?懐かしいあの頃の定番種目・特徴・曲や応援歌を振り返る

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運動会といえば、今も昔も子どもたちの一大イベント。
でも「昭和の運動会ってどんな感じだったっけ?」と振り返ると、今とは少し違う、あの頃ならではの空気がよみがえってきませんか。

場所取りやお弁当、先生たちの熱い声、そしてグラウンドに流れる音楽。
どれも特別ではないのに、なぜか強く記憶に残っているものです。

この記事では、昭和の運動会の定番種目や特徴、
当時流れていた曲や応援歌まで、やさしく振り返ります。

懐かしい気持ちで、「こんなのあったな」と思い出していただけたらうれしいです。

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昭和の運動会ってどんな雰囲気だった?

昭和の運動会は、今よりもずっと「地域ぐるみの行事」という空気がありました。
子どもだけでなく、親や祖父母、近所の人まで集まって、にぎやかに一日を過ごす——そんな光景が当たり前だった時代です。

朝はまだ暗いうちから場所取りが始まり、グラウンドの周りにはレジャーシートがずらり。
お昼になると、お重やお弁当が広げられて、ちょっとしたピクニックのような時間が流れていました。

「運動会=家族で過ごす特別な日」という感覚が強かったのも、昭和らしい特徴です。

競技が始まると、空気は一変。
先生たちは今よりもずっと熱く、マイク越しの応援や指示も迫力たっぷり。

子どもたちも負けじと本気で走り、本気で応援する——
そんな一体感がありました。

かけっこでは、今のように順位をぼかすことはなく、きちんと1位から順番がついていました。
ゴールの先には「1位」「2位」「3位」と書かれた旗が立っていて、子どもたちは自分の順位のところへ並びます。

ちょっと誇らしかったり、少し悔しかったり——
そんな気持ちも含めて、しっかり記憶に残っている人も多いのではないでしょうか。

そして、うれしかったのが順位ごとのごほうび。
鉛筆は誰でももらえるわけではなく、1位から3位に入った人だけ。

たった一本なのに特別感があって、
「次はもっと上を目指そう」と思えた、そんな小さなきっかけにもなっていました。

さらに印象的なのが、グラウンドに響く音楽。
入場行進の行進曲、かけっこで流れる軽快な曲、応援合戦の掛け声。

どの場面にも音があり、
その音と一緒に思い出が残っている人も多いはずです。

今と比べると、少し大らかで、少し自由で、でもどこか一生懸命。
昭和の運動会には、そんなあたたかさと勢いが同時にあったように感じます。

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昭和の運動会の定番種目

昭和の運動会には、「これがないと始まらない」と言われるような定番種目がいくつもありました。
今も残っているものはありますが、ルールや雰囲気は少しずつ変わってきているように思います。

まず思い浮かぶのが、徒競走
シンプルに走るだけの競技ですが、昭和の運動会では順位がはっきりとつけられ、1位から順番に並ぶのが当たり前でした。
今は安全面や配慮から順位をつけない学校もありますが、当時は「勝ち負け」をしっかり経験する場でもありました。

玉入れも定番のひとつ。
かごに向かって夢中で玉を投げ続ける光景は、今もあまり変わりませんが、昭和の頃は今よりも自由で、多少ぶつかったり転んだりしてもそのまま続行、ということも珍しくありませんでした。

綱引きや騎馬戦も、当時はかなり本気の勝負。
特に騎馬戦は迫力があり、帽子の取り合いに必死になる姿は見ている側も手に汗握るものでした。
最近では安全面を考えて内容を簡略化したり、実施しない学校も増えています。

パン食い競争も、昭和らしい人気種目のひとつです。
ぶら下がったパンに向かって一生懸命ジャンプする姿はほほえましく、会場全体が笑いに包まれる場面でもありました。
衛生面の理由から、今ではあまり見かけなくなった種目のひとつです。

そして、フォークダンス
男女でペアを組み、「オクラホマミキサー」などの音楽に合わせて踊るこの時間は、少し緊張しながらも特別な空気が流れていました。
今ではダンスの内容も自由になり、より現代的な音楽が使われることが多くなっています。

こうして振り返ると、昭和の運動会の種目はどれもシンプルですが、
そのぶん全力で取り組む空気や、勝ち負けの喜びや悔しさがしっかり残るものでした。

今と比べると、少しだけ厳しくて、少しだけ自由。
でもそのバランスが、あの頃ならではの思い出をつくっていたのかもしれません。

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昭和の運動会は学年で変わる|中学校になると一気に本気になる

もう少し学年が上がったり、中学校になると、競技の雰囲気もぐっと変わってきます。

棒倒しや騎馬戦、組体操など、体をぶつけ合う団体競技が増え、砂埃が舞う中で、みんな本気でぶつかり合っていました。
今思えば少し危険に感じるほどですが、それだけ学校側も真剣で、役割や責任を学ぶ場でもあったのだと思います。

そして、中学校ならではの思い出といえばフォークダンス。
異性と手をつなぐことができる数少ない機会で、その一瞬に気持ちが集中してしまうような、そんな特別な時間でもありました。

当時の雰囲気は、こうした映像を見るとよりイメージしやすいかもしれません👇

※当時の雰囲気を再現した参考動画です

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昭和の運動会ならではの特徴

昭和の運動会には、種目だけでは語れない「空気」や「人の動き」がありました。

まず印象的なのは、応援の熱量
グラウンドのまわりからは、今よりもずっと大きな声が飛び交っていました。

「がんばれー!」という声が本気で、
見ている側も一緒に戦っているような一体感があった気がします。

そして、かけっこで1位になった男の子はちょっとした人気者。
足が速いだけで一目置かれるような空気があって、「かっこいい」と思われる存在でした。

親たちも本気でした。
特にお父さんが参加する競技では、全力で走った結果、足がもつれて転んでしまう…なんて場面も。

見ている側としては少しハラハラしつつも、
本人にとってはちょっと恥ずかしい、
でもどこか愛おしい思い出として残っているのではないでしょうか。

カメラ事情も、今とはまったく違います。
スマホではなく、大きなビデオやカメラを肩にかつぎながら、
自分の子どもを必死に追いかけて撮影するお父さんの姿。

あの一生懸命さも、昭和らしい光景のひとつでした。

お弁当の時間も特別です。
母親は朝早くから台所に立ち、家族だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんの分まで、たくさんのお弁当を用意していました。

色とりどりのおかずが詰まったお重を囲む時間は、競技とはまた違う楽しみでした。

振り返ってみると、どれも特別な出来事ではないのに、なぜか忘れられない。
人の温度や空気感ごと記憶に残っているのが、昭和の運動会の大きな特徴だったように感じます。

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昭和の運動会で流れていた曲と音楽

昭和の運動会では、競技ごとに流れる音楽が決まっていて、
その曲を聞くだけで当時の光景がよみがえる、という人も多いのではないでしょうか。

ここでは、そんな「昭和の運動会といえばこれ」と言われる定番の曲を、場面ごとに振り返ってみます。

かけっこでよく流れていた曲

徒競走といえば、やはり軽快でテンポのいい音楽。
中でも有名なのが「天国と地獄」です。

スタートのドキドキと、後半の追い込みがぴったり合っていて、
この曲が流れるだけで自然と走るスピードも上がるような感覚がありました。

ほかにも、「クシコス・ポスト」なども定番で、
テンポの速い曲が多く使われていたのが特徴です。

入場行進や整列で使われていた曲

運動会の始まりを感じさせるのが、入場行進の音楽です。

「ラデツキー行進曲」「双頭の鷲の旗の下に」など、
いかにも行進らしい曲が流れる中で、クラスごとに整列して歩く時間は、
少し緊張感のある場面でもありました。

ダンスやフォークダンスの定番曲

昭和の運動会といえば、フォークダンスも欠かせません。

「オクラホマミキサー」はもちろん、
「マイム・マイム」「ジェンカ」などもよく使われていました。

音楽が流れると自然と列が動き出し、
少し照れながらも楽しんでいた記憶がある人も多いはずです。

応援合戦や掛け声のリズム

応援の時間には、決まった音楽というよりも、リズムに合わせた掛け声が中心でした。

「ゴーゴーゴー(運動会の歌)」のような応援歌や、
太鼓や手拍子に合わせたリズムで、「フレー!フレー!」と声をそろえるあの感覚。

今よりも声が大きく、全力で応援する空気がありました。

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昭和の運動会の応援歌や掛け声

昭和の運動会では、競技と同じくらい「応援の時間」も本気でした。

紅組・白組に分かれての応援合戦では、
「フレー!フレー!」と声をそろえるだけでも、自然と気持ちがひとつになります。
今よりもずっと声が大きく、遠慮のない応援が当たり前だったのも昭和らしさのひとつです。

そして欠かせないのが、定番の応援歌。

✔ ゴーゴーゴー(運動会の歌)
 紅組・白組に分かれて歌う、運動会の王道応援歌

✔ 校歌・学校オリジナルの応援歌
団長を中心に声を合わせるスタイル

また、昭和の運動会では「いわゆる応援歌」だけでなく、
その時代に流行していた歌や音楽が使われることも多くありました。

今のように決まった形ではなく、
学校ごとに自由に取り入れられていたのも特徴です。

✔ ピンク・レディーの曲(UFO・サウスポーなど)
 ダンスや応援で盛り上がる定番

山本リンダ狙いうち など)
 テンポがよく、動きと合わせやすい

西城秀樹YOUNG MAN
 全体で盛り上がる場面で使われることも

ザ・ドリフターズ の楽曲
 親子競技やコミカルな場面で登場

さらに、掛け声にも昭和らしい勢いがありました

✔ フレー!フレー!赤組!(白組)
✔ がんばれ!がんばれ!〇〇!
✔ いけいけ!押せ押せ!
✔ ○組ファイト!オー!

シンプルだけど、声をそろえることで大きな力になる応援

太鼓や手拍子に合わせてリズムをとりながら、
全員で声を出していくあの感覚。
応援そのものがひとつの競技のように盛り上がっていました。

今と比べると、音量も勢いもかなり大きかった昭和の応援。
でもそのぶん、応援する側もされる側も本気で、
「一緒に頑張っている」という気持ちが強く残る時間だったように感じます。

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昭和の運動会はこんなに記憶に残るのか

昭和の運動会が、ただの行事以上に強く記憶に残っているのは、
競技そのものだけではなく、その背景にあった「人との距離」が大きいのかもしれません。

あの頃は、家のまわりに小さなお店がたくさん並んでいました。
八百屋さん、文房具屋さん、魚屋さん、お肉屋さん、薬屋さん。

何かを買いに行くと、1軒ではなく何軒か回るのが当たり前で、
そのたびに顔を合わせるうちに、自然と町の人のことを覚えていきます。

「あの店の子どもが〇〇ちゃん」
そんなふうに、名前と顔がつながっている関係が、日常の中にありました。

そして運動会の日。

町の中はいつもより少し静かで、
みんなが同じ場所に集まっているような、不思議な空気がありました。

学校のグラウンドには、見慣れた顔がたくさん並んでいて、
家から学校までの間にあったお店の人たちも、ほとんど顔見知り。

「あの子のお父さん、今日は隣にいるな」
「いつも行く食堂のお母さんのところのお姉さん、きれいだな」

そんなふうに、日常で見ていた人たちが同じ空間に集まることで、
運動会はただのイベントではなく、町全体の出来事のように感じられていました。

だからこそ、記憶に残るのは競技の結果だけではありません。

誰と一緒に見ていたのか、
どんな顔ぶれがそこにいたのか、
どんな空気が流れていたのか——

そうした「自分のまわりの風景」と一緒に、
運動会の思い出が重なっているのだと思います。

振り返ってみると、昭和の運動会は、
ただ走ったり応援したりする場ではなく、
自分が生きていた町そのものを感じる時間だったのかもしれません。

この記事を書きながら、若かった頃の亡き父や、
今は寝たきりになった母の姿が、ふと浮かんできました。

運動会の思い出は、ただ楽しかった記憶というだけではなく、
もう戻ることのできない、あの頃の家族の時間と重なっています。

にぎやかだった一日や、何気ない会話、
一緒に過ごした空気までも思い出されて、
少しだけ、切ない気持ちになる時間でもありました。

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まとめ

昭和の運動会は、種目や結果だけでなく、
人や空気、町のつながりまで含めて、強く心に残る時間でした。

今とは少し違う不便さや大らかさの中で、
だからこそ生まれていた思い出もあったのかもしれません。

ふとしたきっかけで思い出す、あの頃の運動会。
それぞれの記憶の中に、大切な風景として残っているのではないでしょうか。

※昭和の運動会の内容や雰囲気は、地域や学校、年代によって異なる場合があります。

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