「いい人」でいることに、疲れていた
誰かと話すたび、気をつかって、言葉を選んで。
本音を隠して、相手に合わせて。
そんな毎日をずっと過ごしていたら、いつの間にか「誰といても疲れる人」になっていました。
本当は
「ちょっと疲れてるな」
「今日はひとりでいたいな」
って思っても、断るのが申し訳なくて。
会話の途中で何か違和感を覚えても、「こんなこと言ったら嫌われるかも」って飲み込んで。
“いい人”でいることが当たり前になっていて、「自分の気持ち」は後まわしにされ続けていました。
合わせることで“孤独”が深まっていたなんて
「人に合わせているんだから、私はひとりじゃない」
そう思っていたのに、気づけば心の中は、静かにさみしくなっていたんです。
その場に一緒にいるのに、話はどこか上っ面だけ。
笑っているのに、帰り道ではどっと疲れて、ため息ばかりついている。
たくさん人と会っているのに、「誰にもわかってもらえていない気がする」――
それって、まぎれもなく孤独でした。
無理にがんばった食事会で、もっと孤独を感じた
ある時、ママ友グループで食事会が開かれることになりました。
私は正直、その頃ちょっと体調も気持ちも落ち気味で、「今回は見送ろうかな」と思っていたんです。
でも、グループLINEには
「〇日、空いてる人〜?」
「みんなで集まるの久しぶりだよね♪」
という空気が流れていて…。
行かないなんて言ったら「ノリ悪い」って思われそうで、つい「参加します」と返信してしまいました。
当日、私はおしゃれもメイクもがんばって出かけました。
でも、会話の内容は子どもの習い事、夫のグチ、マウント合戦のような話ばかり。
正直、聞いていて全然楽しくなかった。
笑っているフリをしながら、心の中では「なんで来たんだろう」「ああ、帰りたい…」とずっと思っていました。
帰宅してメイクを落としながら、「こんなに疲れるなら、断ればよかった」とポツリ。
その時、ようやく気づいたんです。
私が合わせてたのは、「周囲の期待」じゃなくて、「勝手に思い込んでいた自分の義務感」だったって。
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小さな決意。「今日は行かない」と言ってみた
合わせることに慣れていた私にとって、「断る」という行為はとても勇気のいるものでした。
でもある日、その小さな決意が、私の心を少し軽くしてくれたんです。
「行けたら行くね」と言いかけて、立ち止まった
その日は体も心もどんより重くて、本当は一歩も外に出たくなかった。
そんなときに届いた「今日どう?会えそう?」というメッセージ。
いつもの私なら、条件反射のように「うん、行けるよ」と返していたと思います。
でも、その日はふと手が止まりました。
返事を打とうとした親指が、スマホ画面の上でピタリと止まって、
「もう、今日は無理かも…」と、心の中でぽつりとつぶやいていました。
「ごめんね、また今度」に込めたほんとの気持ち
少しだけ勇気を出して、こう送りました。
「ごめんね。今日はちょっと疲れてて、また元気なときに会いたいな。」
その瞬間は不安でいっぱいでした。
断ることで、空気が悪くならないか。
「付き合い悪い」と思われるんじゃないか。
そんな思いが頭をぐるぐるして…。
でも、返信を終えたあと、胸の奥にふわっと風が吹いたような軽さを感じました。
私は初めて、自分の“本音”を大切にできたという気持ちでした。
「断った自分」を責めなかったのは、たぶん初めてだった
以前なら、断ったあとも何度もメッセージを見返しては後悔していました。
でもその日は違いました。
ソファに座って、あたたかいお茶を飲みながら、私は心からこう思ったんです。
「ああ、何か楽しい」
ただ“行かない”と決めただけ。
でも、それは私にとって、「人に合わせる人生」から一歩離れた、最初の記念日でした。
それから少しずつ、「無理に人に合わせること」を手放していきました。
✔興味のない話題に無理に乗らない
✔LINEの即レスをやめる
✔「またね」より「ありがとう」で会話を終える
最初は「距離を置かれるかも」と不安もあったけれど、意外とそうじゃなかった。
むしろ、そんな私を「わかるよ」と受け止めてくれる人が残ってくれました。気づけば、自分のペースに合う人とだけ、ゆるやかにつながれていたんです。
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私もそうだった。“合わせすぎ”サインを見逃していた
あなたは、こんなことに心当たりありませんか?
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誘いを断るとき、ものすごく罪悪感を感じる
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グループLINEの反応を考えすぎて疲れる
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興味のない話題でも笑ってうなずいてしまう
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一緒にいても心からリラックスできる人がいない
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断ったあとの空気や相手の反応をずっと気にしてしまう
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会話中に「ここに自分はいなくてもいいのかも」と感じる
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「また会おうね」と言いながら、内心ホッとしている
でも、無理に合わせ続けなくても大丈夫。
自分の心に正直になったとき、人とのつながり方も自然に変わっていきます。
「相手に合わせなきゃ」と思いすぎて、自分を後回しにしていませんか?
実は、そんな“やさしすぎる人”が突然いなくなってしまう理由について、こちらの記事でも詳しく書いています。↓
→ 優しい人ほど、ある日突然いなくなる理由とは?
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“合わせすぎる”をやめて、私は少しずつ自由になった
長い間、「合わせること」はやさしさだと思っていました。
でも本当は、自分に気持ちに無関心になることだったのかもしれません。
ほんの少しずつ、「それ、やめよう」と思えるようになってから――私は少しずつ、ラクになっていったのです。
本当の“やさしさ”って、なんだったんだろう?
以前の私は、「いい人でいなきゃ」と思っていました。相手の話を聞き、空気を読み、笑顔で受け答えする。その全部を「やさしさ」だと信じて、がんばっていました。
でもある時、こんな疑問が浮かびました。
“私が笑ってることで、相手はほんとに救われてた?”
もしかしたら、自分に無理をさせてまで合わせることは、
相手にも“本音を言いにくい空気”を作っていたのかもしれないなって。
自分に「いいよ」と言えるようになったら、風が変わった
合わせないこと=自己中。
そう思っていた頃は、自分の希望を言うのがすごくこわかった。
でも、ちょっとだけ正直になってみたんです。
「今日はムリしない」
「それ、私はあまり得意じゃない」
そうやって、自分の気持ちに「いいよ」と言うたびに、
心に風が吹き抜けるような感覚がありました。
人は案外、「自分の気持ちに正直な人」を避けたりしないんですよね。むしろ、そういう人に安心して寄り添える人も、ちゃんといるんです。
今の私は、“選んでつながる”を覚えた
「誰とでも仲良くしなきゃ」
「嫌われたら終わり」
そんな思い込みで生きていたころは、人間関係が息苦しかった。
でも今は、「合わない人とは無理に付き合わなくていい」って思える。
そして、「大切にしたい人」と、静かに、あたたかくつながることができる。
人間関係の“量”より“質”を大切にするようになってから、
私はようやく、本当の意味で自由に呼吸ができるようになりました。
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やめてよかった「人間関係の気づかい」リスト
「これはもう、がんばらなくていい」と手放してラクになったこと、いくつかあります。
無理な誘いへの“行く行く詐欺”
疲れてるけど断れないから「そのうち行こうね〜!」と返事して、
ずっと心のどこかで「行かなきゃ…」とモヤモヤ。
グループLINEの“即レス文化”
既読つけたら即返信、反応しないと気まずい、
スタンプすら「気をつかって選ばないといけない」感覚…。
「うんうん」と愛想笑いで話を合わせる
本当は興味ない話題でも、否定しないようにと笑顔であいづち。
でも、終わった後はぐったり…。
「また会おうね」を言わないといけない空気
相手を傷つけないように…と、つい「また会おうね!」を口にしてしまうけど、
内心「いつ?」って自分にプレッシャーをかけてしまう。
それだけで十分、気持ちは伝わると信じられるようになりました。
“やさしくない自分”になっても、誰も傷つかなかった
人に合わせることをやめてから、最初のうちは「私、冷たくなったかな?」と不安になることもありました。
でも、それってたぶん、今までが「やさしすぎただけ」だったんです。
誰かに嫌な思いをさせることもなかったし、むしろ
「前より話しやすくなったね」なんて言われることもありました。
不思議なことに、自分に正直でいると、周りとの距離感も自然と整っていくんですね。
合わせないなんて、もっと孤独になるのでは?」という不安に
合わせるのをやめる。
自分に正直になる。
それってとても素敵なことだけど、
こんなふうに思う人もいるかもしれません。
「合わせなくなったら、人が離れていくんじゃない?」
「本音を言ったら、嫌われてしまうのでは?」
「ひとりぼっちになるのが、やっぱり怖い…」
私もそう思っていました。
だからこそ、ずっと無理して笑って、あわせて、空気を読んでいたんです。
でもね、不思議なんです。
無理に合わせるのをやめてみたら――
本当に必要な人とのつながりだけが、ちゃんと残ってくれました。
離れていった人は、「無理をしてつながっていた人」だったのかもしれません。
そして、少し距離があっても、私のことを大切にしてくれる人は、ちゃんとそばにいた。
自分を偽らなくなったことで、関係の質が変わったんです。
「また会いたいな」と思える人が、ちゃんと見えるようになった。
孤独になるどころか、
本音でつながれる人のあたたかさが、心に沁みるようになりました。
そして私はようやく気づきました。
無理して合わせないほうが、人との関係はやさしくなることもあるって。
☕ 心がちょっと疲れた時に読んでほしい、こちらの記事もあわせてどうぞ。
▶︎ 本音で話せる人がいない時の過ごし方
書くこと・話すこと・誰かとつながること。ひとりでも安心できるヒントをまとめています

まとめ
「合わせない」ことは、わがままじゃなくて“本当のやさしさ”なんだと思う。
無理に誰かに合わせ続けるって、
一見やさしく見えるけれど、そのやさしさの中には“自分を犠牲にする”苦しさがありました。
そして何より
相手にも失礼。
だから、合わせすぎることをやめて、自分に正直に生きるようになったら――
孤独が減ったんです。
それはきっと、「本音でつながれる人」が残ってくれたから。
これから先の人生、
無理に誰かと合わせるより、
“ありのままの自分”で心地よくいられる人とだけ過ごせたら、それだけで幸せなんだと思います。
🌿 こちらの記事も、心がふっとラクになるヒントになると思いますよ。
▶︎ 「ひとりが好き」と「孤独が怖い」の違いとは?
矛盾する気持ちにやさしく寄り添ったコラムです。
